前回記事にした三国志に続き、今回は項羽と劉邦について記事にしてみました。
項羽と劉邦 横山 光輝
大きな流れと個人的な見解も含め記事にしてみました。
今回は、三国志の更に前の時代のお話です。
もくじ
いつ頃の話か
時代は、秦の国が滅び、その後の中国の話で、紀元前のお話です。
(秦:紀元前778年 - 紀元前206年)
三国志より、更に前のお話になります。
日本史でも秦の始皇帝くらいは出てくると思いますが、その始皇帝が亡くなり、その後にいくつかの国による、覇権争いが始まります。
※因みに、始皇帝って秦の初代と思われる方もいるかもしれませんが、31代目です。
皇帝を始めて名乗ったと言う意味で最初です。
どんな内容か
項羽と劉邦は、最終的に国を統一する為の覇権争いをする2人です。
項羽(楚)と劉邦(漢)の争いとなり、皆さんもご存じの通り「漢」と言う国が出来上がるのですが、
この漫画では、秦の始皇帝が生きている頃の話から始まり、秦の国がどのように衰退していったのか、その後どのような人物が出て来たのかがわかります。
後にも有名となり、語り継がれている諺や故事成語なども数々出来上がっています。
話全体を知らなくても、聞いた事がある言葉が出てきますが、この時代の話なんですね。
例えば、「背水の陣」や「四面楚歌」などです。
秦を倒すべくいたるところで旗揚げをする者たちが現れていきます。
項羽も劉邦もその流れにのった人物です。
言ってしまえば、秦を倒した後に、項羽と劉邦が覇権争いのような形になっていくわけです。
中国の王朝歴史(簡易版)
王朝名 | 時期 |
・・・ | |
殷 | 紀元前1600年頃 |
周 | 紀元前256年 あたりらしい |
春秋・戦国 | 紀元前770年-紀元前403年 |
秦 | 紀元前221年-紀元前207年 |
漢 | (前漢:紀元前206年-8年・後漢:25年-220年) |
三国 | 220年-280年 |
晋 | 265年-420年 |
・・・ |
この漫画の流れ(個人的に大きなポイントを抜粋)
秦の始皇帝の死
序盤は、秦の始皇帝の暴政から始まります。
焚書坑儒は、後にも伝えられる悪政の代表的なもので語り継がれています。
趙高の野心
この人物は、宦官の立場にいて、野心を抱き丞相の地位を得ます。
残酷性のある人物で、歴史に悪名を残した人物です。
劉邦、項梁・項羽の台頭
各地で秦打倒の為に立ち上がります。
劉邦も項羽も軍を起こします。
秦(章邯)との戦い
秦の名将で、項梁・項羽の軍と対峙します。
項梁は、章邯との戦いで命を落とします。
この辺から、メインの話になってくるかと思います。
懐王との約束 咸陽への道(項羽:東と劉邦:西)
項羽50万の兵力、劉邦20万の兵力を集めます。
咸陽をそれぞれの道から目指す項羽と劉邦ですが、劉邦が咸陽へ先に入ります。
ここで、蕭何は、図籍を手に入れ後の項羽との戦いに役立てることとなる。
先に咸陽に入った劉邦が、懐王との約束通り漢中王になるはずでした。
ところが
これが項羽の怒りに触れることになります。
この懐王との約束があったにも関わらず、認める事ができなかった項羽。
鴻門の会
咸陽に先に入った劉邦を殺害する為に行われた会と言っても良い。
項羽の軍師である范増(亜父と敬われる)が、この機会に劉邦を討つ為に殺害の計画を行います。
項羽は、劉邦に3つの罪があると言うが、劉邦は、下記のように答える。
・子嬰を殺さなかったのは、項羽に処遇を任せる為
・宝物庫を封印したのは、手付かずで項羽に渡す為
・函谷関を閉じたのは、秦の残党や盗賊の襲撃を備える為
項羽は、機嫌を良くし、劉邦を完全に見くびり安心してしまった。
しかし、范増は、それでも劉邦を殺害するべく、項荘に剣の舞を舞わせ、隙に乗じて殺害を計ります。
項伯(項羽の伯父)がその状況に気付き、剣の舞の相方役として応じ、その間に張良が樊カイを呼びにいきます。
樊カイが乗り込み、剣の舞は中断されます。
空腹であるが、めでたい宴席に兵士は何も食べていないと言い、項羽は、樊カイに酒と肉を与える。
樊カイは酒を全て飲みほし、肉も平らげてしまった。
この肉は、腐った肉とも言われており、空腹であれば食べてみせよと言う脅しでもあったような事が記載されてた本もありましたが、樊カイはそれを命をかけて食べつくしたようです。
鴻門の会では、劉邦は、項伯、張良、陳平、樊カイなどに助けられ、難を逃れることができます。
その後、間もなくして、項羽は、劉邦に秦の子嬰を差し出すよう命じ、そして処刑してしまいます。
懐王との約束は、先に咸陽へ入った者を漢中王とすることでしたが、項羽はそれを無視して、自身で「西楚の覇王」を名乗ります。
始皇陵を掘り起こし、阿房宮も焼き尽くした。
90日間も燃えたほどだと言われています。
このような非道が、人心の心を離していく事となっていきます。
巴蜀にて時期を伺う劉邦
項羽からすぐ手が出せないように、劉邦は巴蜀の地にて天下を伺うことにします。
外部から容易に攻め込まれない天然の地を利用した場所で、国造りに励みます。
韓信が劉邦の下に加わるのもこの時期です。
三秦王との戦い
軍隊を鍛え上げた韓信は、虚をついて巴蜀より攻め入ります。
瞬く間に三秦を下し、咸陽を攻め入り平定することに成功します。
スイ水の戦い
韓信、張良などのおかげで、軍の勢力も膨れ上がってきた劉邦。
韓信、張良らは、劉邦を諫めたが、少し優越感に浸ってしまった劉邦は東征に向かう決心をします。
韓信は、まだ攻め込む時ではないとの判断で、大元帥から外れます。
そして、大元帥には魏豹を任命しています。
結果、劉邦軍56万の兵が、項羽の3万の兵に敗れる大敗となります。
この時の漢軍は、規律も無く、略奪行為もしていたと言われ、まとまりも秩序もない状況になっていたとのことです。
ケイ陽の戦い
大元帥の立場に復帰した韓信により、再び項羽軍に攻め入ることになります。
韓信率いる戦車隊を導入した戦いにより、項羽は敗北する。
この戦いで、項羽軍の宇英が戦死する。
趙平定
張耳と陳余
刎頸の友の言われた2人の戦いになります。
韓信は、この戦いで背水の陣を敷いて、敵軍に勝利します。
韓信の勢いは止まらず、次々に戦いに勝利していきます。
その頃、張良や陳平により、項羽の軍師である范増に対して、項羽からの疑念を与える為の計略が実施されます。
その計略に、虞子期がかかり、范増は、項羽に疑念を抱かれ、戦線離脱することとなってしまいます。
項羽は、韓信などがいない状況で、劉邦を追い詰めることになり、劉邦を窮地に陥れます。
劉邦を呼び出すのですが、実は影武者となった紀信であり、その間に劉邦は逃げおおせます。
紀信以外にも、ショウ公、周苛と言った将が、劉邦の為に項羽に降らず死んでいきます。
斉平定
再び韓信を大元帥とします。
韓信は、燕、趙、魏、代を平定していきます。
次に攻めるのは、斉となった時に、レキ食其は、斉に降伏を勧める為、論客として斉に赴きます。
しかし、韓信による武力攻略を行われてしまう。
これにより、レキ食其は斉王により処刑されてしまいます。
斉には、楚の龍且による20万の援軍が来ますが、韓信の策により壊滅します。
龍且はここで命を落とすことになります。
その後、斉を平定した韓信は、斉王の称号を与えられることになるのですが。
項羽と劉邦の和睦
劉太公、呂公を捕らえていた項羽は、劉邦との和睦を試みます。
しかし、この和睦も、人質となっていた劉太公、呂公を戻す為のようなもので、再度戦いとなっていきます。
少しズルいかもしれませんが、人質を釈放してもらうことが狙いである和睦でした。
韓信、英布、彭越の援軍
なかなか援軍に来ない韓信、英布、彭越らに恩賞を与える。
韓信:三斉王
英布:淮南王
彭越:大梁王
上記のように恩賞を与え、独立国として許す。
劉邦の勢力は全体で120万となっていきます。
対して項羽の勢力は、50万にも満たない勢力です。
劉邦に人が集まっていくことで、兵力の差が開いていきます。
垓下の戦い
韓信の率いる漢軍の攻撃により、項羽は追い込まれていく。
漢軍に囲まれた楚軍は、楚の歌を聞き、望郷の念にかられていく。
四面楚歌と呼ばれている。これにより、多くの将兵は漢軍に降っていくこととなる。
虞姫は自害し、項羽についていく将兵も減っていく。
最終的には、項羽は漢軍に囲まれ、自害して果てる。
注目する人物
・趙高
勤勉で法律に詳しかったとされる。
始皇帝の末子・胡亥のお守役を拝命された。
始皇帝に重宝され寵愛される。
国(秦)を私物化し、保身のため忠臣賢臣を謀殺し、皇帝をも殺し、天下万民からも恨みを買った。
悪臣の象徴として後世でも引き合いに出されている。
・呂雉
劉邦に嫁いだばかりの頃は、畑仕事や子育てに取り組んでいた。
彭城の戦いで劉邦が項羽に敗れた際に、呂雉と太公は捉えられてしまう。
その後、項羽と劉邦の和睦の際に戻ることになる。
※その際に劉邦が子を捨てるといった事が起きている。
劉邦が没し後、呂雉は皇太后となる。
自らの地位をより強固にしていくように取り計らっていく。
趙王とその母である戚夫人を殺害している。
呂后は戚夫人を奴隷とし、趙王殺害後には、戚夫人の両手両足を切り落とし、目玉をくりぬき、薬で耳・声を潰し、その後便所に置いて(人豚)と呼ばせ、そのさまを笑い転げながら見ていたと史書にはある。
(なお、古代中国の厠は、広く穴を掘った上に張り出して作り、穴の中には豚を飼育して上から落ちてくる糞尿を「餌」にする「豚便所」であった。戚氏を厠に入れたことから、豚に喩えたと思われる)。
中国悪女列伝の中に入っている呂雉です。
聞く限り、恐ろしいことをやった人物です。
・戚夫人
劉邦に寵愛を受けた。
しかし、呂雉に恨みを買うことになり、後に皇太后となった呂雉から報復されることになる。
漢の三傑
・蕭何 (字不明)
元々豊の役人であり、下役人として働いていた。
曹参、夏侯嬰を部下に持っていた。
元々、劉邦の事は、あまり期待はしていない状態であったようで、
でも、どこかで目をかけていた。
劉邦を陰ながら支えた功労者。
表舞台に出ると言うよりは、縁の下の力持ちのような人物。
それでも、3傑と呼ばれる中に数えられるのは、それだけ優れていたのかと思います。
・張良 子房
劉邦の軍師となる人物。
始皇帝暗殺を試みるも失敗し身を潜める。
元々は、韓からの客将として劉邦に仕えていたが、
項羽により韓を滅ぼされ、劉邦の家臣となる。
鴻門の会では、劉邦の危機を助け、その後巴蜀・寒中へ逃がすことに成功する。
・韓信 (字不明)
淮陰の出身。
若かりし頃の股くぐりの話や昼飯を老婆に恵んでもらうエピソードもある。
自ら切り込むこともあり、大胆な戦略を考え、臨機応変に戦う。
知も勇も兼ね備えて人物だとある。
劉邦に用いられた際には、大将軍(漫画では大元帥)の地位となる。
だが、その反面、政治的な部分では、無頓着なところもあったという。
戦いに出れば勝利する国士無双と称えられているが、精神的な迷いなのか、時々、戦いとは別のところで失態をしている。
最後は、長安で反乱を起こし、呂后と劉盈を捕らえ政権を奪うつもりでいたが、呂后に気付かれ失敗する。
信用していた蕭何に呼び出され、捕らえられ処刑される。
個人的には、大将軍の地位までになった韓信ですが、他の人に無い武勇と戦略の持ち主だという事以外に、時々見せる失態が、完璧では無いというところが見えて良いのですが、レキ食其を見捨てた斉攻めのところは、納得できませんでした。
まとめ
項羽と劉邦については、項羽は、范増など有力な者のいう事を聞かなかったことに対して、劉邦は、良く人の話を聞き入れたと言われています。
劉邦が、ここまでの力を得れたのには、始皇帝や趙高、項羽などの非道を行わなかったからこそ人が付いてきたと思われます。
個の力としては、項羽をはじめ、韓信や英布などよりも無かったように見れるが、人を引き付けるものを持ち合わせた人物だったのだと。
圧倒的に力を誇っていた項羽が、どんどん勢力が衰えていき、劉邦に敗れることになります。
劉邦にとっては、特に3傑と呼ばれた人物をはじめ、人に恵まれ、うまく使いこなせたからこそ天下を治めることができたと言われており、まさにその通りだと思います。
この漫画は、流れを知るには本当に良いと思うので、興味ある方は是非見ていただきたいです。